彼女は自分を美しく見せることにきちんと心配りをして生きていた。
たとえ恋人がいなくても、男性とのつきあいがまったく絶えてしまっても、自分が"女"であることを決して忘れていない、捨てていない。
いや、もはやそういった意識すらないだろう。
彼女は「年をとってもきれいにしていなくっちゃ」などと思ってペディキュアをしているのではないだろう。
もっと自然なこと、習慣的なことなのに違いない。
なぜならたとえ八十歳であろうと、彼女の中の"女"は決して失われていないからだ。
その"女″とは、"死ぬまで恋愛の対象となりえる存在でありたい"ということなのである。
知性や性格の良さといったことと置き換えられることのない、彼女が生きていく上での必要不可欠の条件なのだ。
私自身、言葉ができなくては存在していないも同然という経験を、イタリアに住み始めた頃にしているので、痛いほどよくわかる。
言葉を駆使して主張するイタリアやフランスのカップル成り立ちの第一歩である。
黙っていてもツーカー、相手の心のうちを慮るといったことはなされない。
だから徹底的に語りあう。
うるさいほどに言葉を発する。
言わなければ何も始まらないのである。
文はさらに続く。
そういえばミラノの街を歩いていて、あまりにも雰囲気の違うカップルというのを目にしない。
趣味のよい装いをした男性は、同じように洗練された女性と一緒にいることが多く、悪趣味な男性のかたわらにはケバケバしい女性がいる。
そういうカップルはおおむね「ブルッタ(醜い)」といわれて失笑を買う。
男女共に、パートナーが魅力的かどうかは相方の責任とされ、互いに素敵であろうと磨き合うのである。
もちろんイタリアとフランスとの違いはある。
イタリアはフランスほど個人主義の徹底した国ではない。
私が感じる限り、イタリア社会は一対一のカップル単位と同時に"家族”と言い切っていて胸が、すぐ思いがする。
いうものの存在が大きいからだ。
イタリア人ほど家族の結びつきを求め、そこをすべての依りどころにする国民もないのではないだろうか。
フィアット社やオリベッティ社のように、名の知られた企業の多くが同族会社であり、何か事業を起こすとなった時には、大企業から小さな街の八百屋に至るまで、家族のバックアップがなければ絶対に成功しないといわれている。
この国の成り立ちや民族性に理由があるのだが、家族は人々の生活の根本といってもよい。
だからひとり暮らしの女の子や、フランスのユニオンリーヴルのように結婚しないカップルといったものは著しく少ない。
家族の中心人物は母親、すなわちマダムである。
フランスの女性が幾つになっても"意地悪さ"を含む"女っぽさ"をもっているのに対し、イタリアのマダムたちは女であると同時に母の顔も備えている。
どんなに洗練された、筋脚の格好いいマダムでも、どこかに人を包みこむ温かさ、人を許すおおらかさがあるのはそのせいだろう。
幾つになっても年齢を超えて恋愛の対象となり得る女らしさ。
それと同時に母としての懐の深さをあわせもっているからこそ、こんなにもイタリアマダムに憧れをかき立てられるのだ。
味が二乗されてしまうかも。
それにしても、と私は思う。
若さを失ってからも"女″でいるのは並たいていのことではないだろう。
たとえばもし日本で、若くない女が、「一生恋愛していたいし、そういう女でありたいの」などと言えば、あの人はふしだらだといった目で見られることは間違いがない。
八十歳のおばあさんの家に下宿していた友人は、彼女を見るにつけ日本にいる自分の叔母さんのことを思い出すと話してくれた。
その人は親戚の中でも断トツに美しい人だそうだ。
もう七十代だというが、もともと粋筋の女性であった。
日本において"女を捨てずに美しくいる″となると、もう粋筋しかなくなってしまうよれと友人は言う。
自分はとてもその人に憧れていたが、親たちはあまり好もしく思っていなかったようだ。
そういう年配の女性を間近に見て育ち、大人になってイタリアにやってきたら、今度は八十歳のおばあさんという存在に出会った。
つくづく自分のこれからの女としての生き方を考えたわ、と彼女は真剣なおももちで語るのだった。
イタリア人は結婚していても夫婦間に常に緊張感を保ち続けている。
いつでも夫を取られる危険にいるからである。
イタリア人男性と結婚してミラノに住んでいる日本人の友人が、「どうしてこっちの女は私という存在があると知っているのに、ああ堂々と夫を誘惑しようとするのかしら」と怒っていたが、だからこそ、その緊張感が女性を美しく見せているとも言えるだろう。
あの八十歳のおばあさんには、その現実はない。
にもかかわらず美しくあろうとする気持ちは、どこから生まれてくるものだろうか。
多分、どんな環境にもかかわらず、自分は女として生きるのだという強い気概から発しているのではないだろうか。
彼女にとって、やめてしまうこと、あるいはそうではない生き方を選ぶなどということは考えたこともないことだろう。
もの心ついた少女の頃から美の競争社会の中で鍛えられ、大人になってからは恋人と、あるいは夫との一対一の関係において磨かれ洗練されていく。
長年にわたるそうした環境によって育まれた"女らしさ"は、ちょっとやそっとのことでは崩れない。
テーマで取材した。
そのときにも感じたことなのだが、美容という点に関してイタリア女性ブルーな人でも、手元に目をやると短く切った爪にマニキュアもなし、ということが多い。
そういう手元を見るとホッとするし、温かい気持ちになる。
マニキュアはしても透明なものを好み、真っ赤な長い爪などというものは、ミラノで暮らした四年間に一度も目にしたことがなかった。
あるマダムにそのことを聞いたら、こんな返事が返ってきた。
「真っ赤な長い爪なんて不自然じゃない。
それってアメリカ人のすることでしょう?」オオッ、ここでも得意のアメリカ嫌いが登場ね、と思ったが、そういえばエステもリフティングもネイルアートもイタリア、特に北イタリアではあまり普及していない。
アメリカ的どうかはわからないが、とにかく自然の流れに逆らうことを嫌う。
リフティングで鮫取りをして若く見せ、雛があっても美しい女でいることを尊ぶ、そういう価値観が根強くあるのである。
暮らしのめりはりがダイナミックなおしゃれを生むでは、どうしたら雛があっても美しく、魅力的な人になれるのか。
まず暮らしの充実ということだろう。
イタリア人は地に足のついた暮らしがあり、人々は愛し楽しんでいる。
家事も子育ても当然の役割として受け入れて細やかに世話を焼く。
仕事をしている人ならば、これまた徹底して仕事をする。
イタリア人の働く人というのは、日本人の比ではない。
私も住んでみて初めてわかったことなのだが、とにかく体力気力ともに優れた民族なだけあって、勉強にしても仕事にしても、やる気のある人は猛烈にやるのである。
眠る時間は極端に少なく、一年三百六十五日世界中を飛びまわり、それでいていつも元気でにこにこしている。
仕事が楽しくて仕方がないという様子である。
彼らはもちろん土日も働き、ヴァカンスも夏に一週間とれれば多い方だと言う。
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